古代の人物
人物 | 年 | メモ |
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日本武尊 (やまと たける) | ?~113年 | 景行天皇の息子 別名:ヲウス/ヤマトオグナ 九州のクマソタケルを倒す 出雲のイズモタケルを倒す 東国征討を行った |
卑弥呼 (ひみこ) | 175年?~248年? | 邪馬台国の女王 |
聖徳太子 (しょうとくたいし) | 574年~622年 (享年48歳) | 別名、厩戸皇子。 推古天皇の摂政 初めて憲法を作った人物 |
中臣鎌足 (なかとみ の かまたり) | 614年~669年 (享年55歳位) | 蹴鞠で球を拾い中大兄皇子に渡した事により繋がりができる 天皇から藤原性を賜り、藤原鎌足となる |
中大兄皇子 (なかのおおえ の おうじ) | 626年~672年 (享年46歳位) | 天智天皇(38代天皇) ・蘇我氏を倒す |
小野妹子 (おの の いもこ) | 生没年不詳 | 官人。遣隋使を務めた |
犬上御田鍬 (いぬがみ の みたすき) | 生没年不詳 | 官吏・外交官 遣唐使、遣唐使を務めた |
大海人皇子 (おおあま の みこ) | 631年?~686年 (享年55歳) | 天武天皇(40代天皇) 天智天皇の弟 |
大友皇子 (おおとも の みこ) | 648年~672年 (享年24歳) | 弘文天皇(39代天皇) 天智天皇の息子 |
阿倍比羅夫 (あべ の ひらふ) | 生没年不詳 | 将軍。 蝦夷平定に大きな役割を果たす |
蘇我稲目 (そが の いなめ) | 506年?~570年 (享年64歳) | 豪族蘇我氏。蘇我馬子の父。 埋葬地:都塚古墳 |
蘇我馬子 (そが の うまこ) | 551年?~626年 (享年75歳?) | 蘇我稲目の子 4代の天皇に仕え蘇我氏の全盛時代を築く。 埋葬地:石舞台古墳 |
蘇我蝦夷 (そが の えみし) | 586年?~645年 (享年59歳?) | 蘇我馬子の子 乙巳の変で自害。 埋葬地:小山田古墳? |
蘇我入鹿 (そが の いるか) | 600年?~645年 (享年45歳?) | 蘇我蝦夷の子 中大兄皇子、中臣鎌足により殺害される。(乙巳の変) 埋葬地:菖蒲池古墳? |
行基 (ぎょうき) | 668年~749年 (享年81歳) | 日本の僧。 東大寺大仏建立の責任者 |
鑑真 (がんじん) | 688年~763年 (享年75歳) | 唐の高僧。日本に仏教を伝えた。唐招提寺を建立。 |
山背大兄王 (やましろ の おおえのおう) | ?年~643年 (享年?歳) | 聖徳太子の息子 聖徳太子の死後蘇我氏に殺害される。 |
物部尾輿 (もののべ の おこし) | 生没年不詳 (享年?歳) | 豪族物部氏。 |
物部守屋 (もののべ の もりや) | ?年~587年 (享年?歳) | 物部尾輿の子 |
藤原不比等 (ふじわら の ふひと) | 659年~720年 (享年61歳位) | 中臣鎌足の子 大宝律令を制定した |
橘諸兄 (たちばな の もろえ) | 684年~757年 (享年73歳位) | 皇族・公卿。 |
阿倍仲麻呂 (あべ の なかまろ) | 698年~770年 (享年72歳) | 留学生として唐に渡り、唐の役人試験に合格する。 |
長屋王 (ながや の おおきみ) | 684年?~729年 (享年45歳) | 皇族。天武天皇の孫 藤原氏の陰謀で自害(長屋王の変) |
吉備真備 (きび の まきび) | 695年~775年 (享年80歳) | 唐で経済学を学ぶ。右大臣。 |
道鏡 (どうきょう) | 700年?~772年 (享年72歳) | 法相宗の僧。物部氏一族出身。 |
大伴家持 (おおとも の やかもち) | 718年?~785年 (享年67歳) | 万葉集を編纂した |
橘奈良麻呂 (たちばな の ならまろ) | 721年?~757年 (享年36歳?) | 貴族。橘諸兄の子 |
藤原仲麻呂 (ふじわら の なかまろ) | 706年~764年 (享年58歳) | 公卿。 |
稗田阿礼 (ひえだ の あれ) | 生没年不詳 | 古事記の編纂者の1人 |
太安万侶 (おお の やすまろ) | ?~723年 (享年?歳) | 古事記の編纂者の1人 |
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